1988
1月22日、名古屋エレクトリック・レディ・ランドで日本ツアーをスタート。23日 大阪 御堂会館、25・26日 東京 日本青年館。
1月29日、博多ビブレでソロ・アコースティック・ツアーをスタート。30日 神戸 チキンジョージ、31日 京都 ビッグバン2月2日 札幌 ベッシーホール、3日 渋谷 ライブ・イン。渋谷でのライブは90年、『LIVE IN JAPAN』 としてリリースされた。
2月7日、渋谷公会堂で行われた 「THE COVER」 というイベントに参加。この模様はライブ・レコーディングされ、ビクターから発売された。
3月3〜12日、スウェーデンおよびノルウェー・ツアー。
3月1日、新しいバンドのメンバーとリハーサル。
5月20日、デュッセルドルフで 「ROCK IN THE NIGHT」 という番組のためにギグ。
7月15日(誕生日!)、カナダのEL MOCAMBOでギグ!
7月20〜24日、THE NEWYORK LIMELIGHT CLUBで 「NEW MUSIC SEMINAR」 に参加。
8月8日、JOHNNYは新しいバンドのメンバーを固める。JAMIE HEATH(Sax)、ALISON GORDY(Vo)、JILL WISOFF(B)、CHRIS MUSTO(Ds)、STEVIE KLASSON(G)
8月30・31日、新バンドによるツアーがロンドンのMARQUEEでスタート。
9月1日、ロンドンのLIMELIGHTでアコースティック・ギグ。
9月4日、ローザンヌでSIOUXSIE & THE BANSHEES、MINK DeVILLEと共にフェスティバルに出演。
9月6日 イタリア、8〜16日 ドイツ、18〜19日 デンマーク、その後フィンランド、ノルウェー、スウェーデンをツアー。
10月6〜8日 オランダ、11〜16日 スペインをツアー。その後2回のMARQUEEでのギグのためイギリスへ。
11月、アルバム 『COPYCATS』 から 「BORN TO CRY」 をシングル・カット。
1989
1月20〜30日、スペインで7回のギグが予定されていたが、すべてキャンセル。
2月2〜9日、U.K.ツアー。
2月11日、アテネのRODAN CLUBでギグ。
2月22日、パリのLA PALACEでギグ。
3月30・31日、ニューヨークのBEACON THEATERでTHE REPLACEMENTSの前座。THE REPLACEMENTS側から、彼らのツアー全てで前座を務めるようオファーがあったが、ギャラの折り合いがつかず交渉決裂。
5月10日、JOHNNYは主治医に診てもらうためにロンドンへ。
7月、パリで撮影されていた映画 「MONA ET MOI」 が完成。サントラ盤の代わりにJOHNNYは 『BOOTLEGGING THE BOOTLEGGERS』 のアイデアをJUNGLEに提案する。
8月10日、ロンドンで主治医にかかる。
同日、『BOOTLEGGING THE BOOTLEGGERS』 のためにライブ・テープを試聴。JOHNNYは5000枚分の前金の半額を受け取る。
8月28日、ウィニペグでの3日間のギグを皮切りに、アメリカ中西部ツアーをスタート。
9月1〜8日、ミネアポリス、ミルウォーキー、シカゴ、アン・アーバー、デトロイトをツアー。
9月15日、メタドン処方のため、JOHNNYはロンドンへ。
9月25日、フィラデルフィアへ戻り、『BOOTLEGGING THE BOOTLEGGERS』 のためのライブ・テープを聴く。
10月13〜25日、アメリカ西海岸ツアー。
11月18日、メタドン処方のため、JOHNNYはロンドンへ。
1990
1月17日、L.A.のENGLISH ACID CLUBでギグ。
1月30日、ドラッグの資金調達のためにJOHNNYは 『BOOTLEGGING THE BOOTLEGGERS VOLUME 2』 の発売をJUNGLEに提案。しかしJOHNNYのためを思ったALAN HAUSERによって、その企画はボツにされる。
2月、パリのスタジオでSTEV BATORSのアルバムにゲスト参加。JOHNNYはDEE DEE RAMONEと大ゲンカする。
3月19日、一文無しになったJOHNNYは翌月のGIBUS CLUBでのギグをブッキング。
4月4日、製作に6年以上を費やしたJOHNNY主演の映画 「MONA ET MOI」 がパリのODEON劇場で公開される。
4月7・8日、GIBUS CLUBでアコースティック・ギグ。
4月26日〜、アイルランドへアコースティック・ツアー。ベルファスト、ウォーター・フォード、ダブリン。
5月1日〜、イギリスへ渡り、アコースティック・ツアーを続行。
5月11〜13日、ギリシャのアテネとサロンカでアコースティック・ギグ。
5月21日〜、ドイツへアコースティック・ツアー。ミュンヘン、フランクフルト、ブリュッセル、ドルトムント、ハンブルグ、ベルリン。
5月30・31日、バンドと共にロンドンのMARQUEEでギグ。
5月31日、TVショー 「THE POWER STATION」 のためにSTEVIE KLASSON、JAMIE HEATHとSBSスタジオへ。「Lidia」、「Nine Lives」 をプレイ。
6月1日、JUNGLEと新しいスタジオ・アルバムの事について話し合う。
6月2日、JOHNNYはアメリカへ。
6月15日、ASBURY PARKのFAST LANEでギグ。
7月、JOHNNYはニューヨークにアパートを借りる。
9月、HEALTH FARM(ドラッグを断つための施設?)にJOHNNY自ら入所。16年ぶりに完全にクリーンになり、6週間を過ごす。これには、再発された 『LIVE AT THE LYCEUM〜』 の印税が有効に使われた。
11月30日、ニューヨークのTHE MARQUEEにてHEARTBREAKERS名義によるラストギグ。メンバーはJOHNNY、WALTER LURE (G)、JERRY NOLAN (Dr.)、TONY COIRO (B)、JAMIE HEATH (Sax)。
12月20日、JAMIE HEATHと共にロンドン入り。リハーサル。
12月21日、バンドと一緒にMARQUEEでギグ。
12月23日、FRI-SON CLUB(?)でギグ。
12月26〜30日、JOHNNYとJAMIE HEATHの2人で、パリのGIBUS CLUBで5夜連続のギグ。
1991
3月、再びJOHNNYはメタドンによる治療が必要な状態に戻ってしまう。
3月30日、ツアーのため、ニューヨークから日本へ向け出発。
4月1〜8日、東京〜大阪〜名古屋をツアー。その後大阪でJAMIE HEATH、STEVIE KLASSONとアコースティック・ギグ。
翌日JOHNNYは帰国の途中タイに寄り、ドラッグを調達。
4月15日、ニューヨークへ戻り、大量のコカインを購入。
4月18日、ドイツのパンク・バンド DIE TOTEN HOSENのレコーディングに参加するためデュッセルドルフへ向かう途中、
ロンドンに立ち寄りメタドンを200錠手に入れる。
4月19日、デュッセルドルフでDIE TOTEN HOSENと 「Born To Lose」 をレコーディング。
4月22日、JOHNNYは、憧れの地ニューオーリンズへ到着。St. PETER'S GUEST HOUSEにチェックイン。
4月23日、午後1時過ぎ、部屋の掃除に来たメイドによってJOHNNYの遺体が発見される。享年38歳。
JOHNNYの死後、かつての相棒JERRY NOLANがブロードウェイ10丁目でKEITH RICHARDSとばったり出くわした時、KEITHはJERRYの手をとって「JOHNNYの死に対して、何とお悔やみの言葉を言ったらいいかわからない。でも勇気を出すんだ」 と彼を励ましたという・・・。しかし、そのJERRYも翌年1月14日、まるでJOHNNYの後を追うかのように亡くなってしまう。
JERRYが望んでいたという、86〜87年のツアー・メンバーによるスタジオ録音がもし実現していたら・・・と思うと残念でならない。とにかく思い残すことも多かったであろう、JOHNNYとJERRYよ、安らかに眠って下さい。R.I.P.