1978
1月、1人ロンドンに残ったJOHNNYは、STEVE JONES、PAUL COOK、SID VICIOUS(SEX PISTOLS)、PETER PERRETT、MIKE KELLIE(THE ONLY ONES)、ANDY GRAY、STEVE NICOL(EDDIE & THE HOTRODS)、HENRI PAUL、PATTI PALLADINらを従え、「THE LIVING DEAD」、「JOHNNY THUNDERS REBEL」 名義でのギグをスタート。
2月、JOHNNYはREAL RECORDSとソロ・アーティストとしての契約を結ぶ。
2月18日、SPEAKEASYにてTHE LIVING DEADによるギグ。バッキングはPETER PERRETT (G)、ALAN MAIR (B)、MIKE KELLIE (Dr.)、PATTI PALLADIN (B.Vo)。
3月4日、パリのGIBUS CLUBにてTHE LIVING DEADによるギグ。バッキングはHENRI PAUL (G)、COHEN ESCALI (B)、TOMMY WILD (Dr.)。
3月25日、SPEAKEASYにてTHE LIVING DEADによるギグ。バッキングはSTEVE JONES (G)、HENRI PAUL (B)、PAUL COOK (Dr.)、PATTI PALLADIN (B.Vo)。
5月26日、REAL RECORDSからシングル 「DEAD OR ALIVE」 をリリース。
6月、ISLAND STUDIOでアルバム 『SO ALONE』 のレコーデイング。プロデュースはJOHNNYとSTEVE LILLYWHITE。参加メンバーは 「LIVING DEAD」 の面々に加え、WALTERとBILLY、THIN LIZZYのPHIL LYNOTT、CHRISSIE HYNDE、STEVE MARRIOT等。
8月、ニューヨークのMAX'S KANSAS CITYでHEARTBREAKERSを一時的に再結成。ただしJERRY NOLANは参加せず、ドラマーはTY STYX。このギグは翌年、『LIVE AT MAX'S KANSAS CITY』 としてリリースされた。
10月6日、REAL RECORDSからアルバム 『SO ALONE』 リリース。
10月9日、LYCEUMで 「JOHNNY THUNDERS ALLSTARS」 によるレコ発記念(?)ギグ。
10月12日、LYCEUMで、PETER PERRETT、PATTI PALLADIN、JOHN EARLE、MIKE KELLIEらを従えてのギグ。
1979
3月15日 (?)、MAX'S KANSAS CITYにてHEARTBREAKERSによるギグ。ドラムスはJERRY NOLAN。
その後、JOHNNYは元MC 5のギタリストWAYNE KRAMERとGANGWARを結成するため、家族と共にミシガン州へと移住。
6月、GANGWARは最初のデモをレコーディングする。曲目はTHE ROLLING STONESの 「かたくなの心」、「I'm Gonna Be A Wheel」、「Who Do Voodoo」、「Just Because I'm White」、「M.I.A.」。
7月、BEGGERS BANQUETから78年のライブ・アルバム 『LIVE AT MAX'S KANSAS CITY』 をリリース。
12月28日、ニューヨークのTHE HEATにてGANGWARのギグ。ラストの 「Around And Around」 では会場にいたIGGY POPが飛入り。
1980
1月、ニューヨークのRITZでLENNY KAYE BANDとGANGWARのギグ。
7月20日、ボストンのTHE CHANNEL CLUBにてGANGWARのギグ。この時の演奏はCD 『STREET FIGHTYING』 などで聴ける。
7月29日、7th. STREET ENTRYというところでGANWARのギグ。
12月10日、オンタリオ州のハミルトンにてHEARTBREAKERSによるギグ。
12月21日、デトロイトのSILVERBIRDにてHEARTBREAKERSのギグ。メンバーはWALTER LURE (G/Vo)、TONY CURIO (B)、BILLY ROGERS (Dr.)。この時の演奏はCD 『THUNDERSTORM IN DETROIT』 で聴ける。
1981
7月7日、N.Y.C.のIRVING PLAZAでギグ。バッキングは、LUIGI SCIORRCI(G)、FAT TONY C(B)、BILLY ROGERS(Ds)。「Pipeline」、「〜Memory」、「M.I.A.」、「Chatterbox」、「London Boys」、「Subway Train」 などが演奏されたこのギグは翌朝の4時まで続いたという。
1982
2月、JOHNNYは生活費とクスリ代に事欠いて、自分のギターを売ってしまう。
3月、EUPHORIA SOUND STUDIOでJIMMY MILLERを共同プロデューサーに迎え、「Diary Of A Lover」、「Look In My Eyes」、「Green Onions」 をレコーディング。バッキングはWALTER LURE(G)とBILLY ROGERS(Ds)。ベースはJOHNNYが担当。
同月、元BO DIDDLEY BANDのLUIGI SCIORRCIとJERRY NOLANをバックに、後に 『TOO MUCH JUNKIE BUSINESS』 に収録された数曲をスタジオ・レコーディングした後、TVショーのためにスウェーデンへと向かう。ところが現地でJOHNNY御一行様はとんでもない醜態をさらしてしまい、タブロイド紙などメディアの攻撃に見舞われてしまう。
4月22日、ロンドンのTHE VENUEでギグ。
この時期、元GENERATION XのTONY JAMESや、元RICH KIDSのSTEVE NEWも流動的にメンバーに加わっていたようだ。。
6月、イギリスへの入国の際に少量のヘロインを発見され、JOHNNYは数日間刑務所へ投獄される。
同月、WICKHAM STUDIOで、「Sad Vacation」、「Give Me More」、「Ten Commandments Of Love」 のデモをレコーディング。しかし、これらの音源は未だに発見されていない。
同月、JOHNNYはニューヨークへ戻る。
7月、PEPPERMINT LOUNGEでギグ。バッキングはWALTER LURE(G)、LUIGI SCIORRCI(B)、BILLY ROGERS(Ds)。この日の演奏はカセット 『TOO MUCH JUNKIE BUSINESS』 に収録されている。
7月15日、JOHNNY THUNDERS30歳の誕生日はIRVING PLAZAでのギグ。同日、CHRISTPHER GIERKEとのマネージメント契約にサイン。
8月6日、ケンブリッジのJONATHAN SWIFT CLUBでギグ。これは翌年NEW ROSEから出たダブル・アルバム 『IN COLD BLOOD』で発表。
9月1日、PEPPERMINT LOUNGEでギグ。
9月30日、LECH KOWALSKI監督による映画 「STATIONS OF THE CROSS」 のために、MUDD CLUBでギグ。バッキングはWALTER LURE(G)、TARARICO(B)、JERRY NOLAN(Ds)。87年に同名のカセットとしてROIRからリリースされた。
10月、ボストンのDOWNTOWN STUDIOで、JIMMY MILLERのプロデュースにより、「In Cold Blood」、「Just Another Girl」 をレコーディング。
1983
4月27〜28日、パリのGIBUS CLUBでCOSA NOSTRAによるギグ。
5月、JUNGLE RECORDSから、3曲入り12インチ 『VINTAGE 77』 リリース。
10月9日、LYCEUMでギグ。バッキングはJERRY NOLAN(Ds)、BILLY RATH(B)、MICHAEL THIMREN(G)。アンコールでPETER PERRETTとPATTI PALLADINが飛び入り。
10月10日、マネージャーのCHRISTPHER GIERKEは、アルバム 『L.A.M.F.』 をJOHNNY本人がリミックスする事と、翌年3月にHEARTBREAKERSとして再結成ツアーをする事の手はずを整える。
この頃JOHNNYは来るべき仕事に備え、メタドンによる治療を開始。
その後JOHNNYは 『HURT ME』 レコーディングのため、パリのSTUDIO W.W.入り。
12月、アルバム 『HURT ME』 発売に先立つギグとして、イギリスのクラブ数カ所でアコースティック・ギグ。
同月、JOHNNYはクリスマスを過ごすために訪れたスウェーデンでSUSANNE BLOMQVISTと出会い、恋に落ちる。